松戸市保育園 音のゆりかご保育園

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ツキイチエッセイ

2015年8月号


2015.9[サークル・オブ・ライフ]



 先日、息子たちを連れてライオンキングを鑑賞してきました。ストーリーはアニメや本など何度も見聞きしたことがありましたが、『ん?アニメで見ていたのは、手塚治のジャングル大帝レオだ!天下のディズニーも今話題の◯クリ疑惑にさらされていたっけ。』などと、どうでもいいことを思い出し行く前は失礼ながら『学芸会の豪華版かな』くらいに思いそれほど気乗りしていませんでした。ところが、はじまるにつれ出演者の鬼気迫る発声や、限られた空間のなかでの様々な演出の工夫、大人顔負けの子役の堂々とした演技など、役者たちが重奏した世界観にどんどん魅きこまれていきました。サバンナの動物世界を二足歩行の人間が演じるというある種の不自然さは消え去り、人が全身で表現することによって喜怒哀楽あらゆる感情が現実以上の迫力、魅力となって観客席へ迫ってくる不思議な感覚を覚えました。
 ライオンキングのテーマは、「サークル・オブ・ライフ(命の連鎖)」です。父王ムファサは息子に言いました。『百獣の王ライオンもやがて絶命し、土草となり草食動物が食すのだ。その草食動物を肉食動物が狩り、万物は遠大に繋がり生命の調和を保っているのだ。王として全ての生命の繋がりを理解し尊重せよ』と。ここで気づいたことがあります。コンゴのパーカッションが鳴り響く舞台は完全にアフリカですが、この話、「仏教ぽい?諸行無常の響きあり”って感じもするし、もちろん、この手の話しは世界中にありますが、やはり、どこか日本的であるような…。」
 以前のエッセイで子どもたちに、いつか親としてお話してほしいことをお伝えしました。それは、日本は、古代よりあらゆる自然万物や祖先を崇拝してきた民族で、日本人は宗教がないのではなく「自然宗教」という他民族では真似できないすばらしい観念をもっているということです。
 恒例の夏の職員研修でとある講演会に行ったのですが、明治天皇の玄孫(華原朋美と噂になったというほうがわかりやすいでしょうか…)の竹田恒泰さんのお話のなかで、ちょうど日本人の起源や宗教観に触れられていました。日本で生活していると、当たり前すぎて気づかない海外からみた不思議と言われる日本人のモラルの高さがたくさんあると言います。数十年後も健在かどうかは、今の子こどもたちの育ちにかかっているのだなと感じながら、ライオンキングをみたばかりの私は、不思議なことにサバンナの草原に日本人の幻影を見た気がしたのでした。

2015.8[ここはだれの場所?]Whose place is this?



 会田誠という現代美術家をご存知でしょうか。現代美術というとなにやら難しそうなイメージがありますが、このおじさんの作品、なかなかおもしろいんです。オリジナルの作風は一切なく、美少女、歴史、戦争、漫画、サラリーマンなどあらゆるテーマをパロったり、風刺的に表現するインパクト大の作家です。エキセントリック故、ときたまニュースになるのですが今回は、現在開催中の個展で作品に、お上からモノ言いがついたようです。その作品は「檄」というタイトルで、6メートルの垂れ幕に、お役所(文部科学省)に対して家庭からの不平不満を綴ったものです。個展名も「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展なので、一見、政治主張?こども向けにはふさわしくない?なんていう考えでお咎めがあったのだろうと思いますが、個展のタイトルよろしく、彼の息子も参加したからこそ、この作品にアイロニーを込めたはずです。そもそもアート、とくに現代美術ですから、投げかけなくしては作品にはなりません。きっと賛否両論、ギリギリセーフを狙っていたのか、もしかするとこのモノ言いも想定内でギリギリアウトを狙ってメディアに出て世に問われればそれもまたよし、を本気で狙っていたのかしれません。これを撤去すれば、こどもっぽさに迎合したプスプスのスフレみたいな作品が展示されることでしょう。こどもと一緒に見に行った大人は何をこどもに感じさせてあげられるのか。美術館には、”ここはだれの場所?”をもう一度考えて展示を継続してもらいたいものです。アートを通じて風刺や挑発、その空気感を感じとるとこは字の読めない小さなこどもでも可能であると思います。先日、一部の政治家が、「政権に都合の悪いメディアは懲らしめねば」的な発言をし問題になりましたが、従順な羊だらけの世の中にならないよう、こどもたちにこそ「同調圧力に負けるな」っていうメッセージを伝えられるこんな作家の一作品があってもよいのではないかと思います。興味のある方はお子さんと一緒に足を運んでみてはいかがでしょうか。(ちなみにこの夏、機関車トーマス展も一緒にやってます)

2015年7月号


2015.7[ついかいみち


 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、連日のニュースで報道されているとおり新国立競技場の建設計画をめぐって混乱がおきています。昨年からわかっていたことですが、結局、建設費用は900億円も高い2520億円という方針が出されました。そもそも、こんなに莫大な建設費がかかる競技場が必要だったのでしょうか。話によれば、問題になっている開閉式のドームは、実はオリンピックとは関係なく、その後のコンサートなどの収益性を見込んで作ろうとしたものだとか。もちろん、近代のオリンピックは、「おらの国はすごいんだ、どうだ!」と言わんばかりの国威発揚の意味をもってきましたが、世界の大国JAPANが今更、建築物で国の威信をみせつけることもないのかと…まあ、最先端のテクノロジーや建築技術をアピールできるのかもしれませんが。当初から建設計画に反対を表明していた著名建築家の槇文彦氏の案でも1600億円ほどかかるそうですが、ならば、いっそのこと、その差額1000億円近いお金をスポーツ振興に振り向けたらどうなのだろうと勝手ながら思うのです。


 オリンピックは「参加することに意義がある。」とはいえ、金メダルをいくつとったかなどメダルの数そのものが注目され、それが国家の威信にもつながっていることも事実です。このくらいのお金があれば、トップエリート層の強化システムはもちろん、スポーツで大事な草の根の競技人口を広げるインフラだっていろいろ作れるのではないかと。例えば、テニス。身近そうに思えてもコートを自由に使える環境にはありません。それなりにレンタルコートなどで高いお金が必要です。マイナー競技で言えばアーチェリー、はたまた正式種目から落選しましたが、ペタング、スプールボールなんてのもあります。このような様々な競技で自由に気軽に使える施設が街中にあれば最高です。一般の競技人口が増えれば、選手層も厚くなりレベルアップするはずです。さらに高齢化社会へと進む日本にとって、市民スポーツ活動が活性化すれば、予防介護としても効果的で医療保険費削減にもつながるのではないかと…。余談ですが、もとよりスポーツでないチェスやトランプがなぜかオリンピックの種目選考にエントリーされていたのには興味深いものがあります。頭脳を使うマインドスポーツというくくりらしいです。(スポーツ付けただけ?)いっそのこと認知症予防によさそうな麻雀もオリンピック種目になってしまえ!と無責任に思う次第です。はい。それより、この都心の真ん中のスッタモンダを被災地の方々は冷ややかな目でみているに違いなく、少しでも復興に回したらどうなのと言いいたいところでしょう。
 さて、政治家でもないのに、勝手な妄想をしてきましたが、「オリンピックが終わって、10年後、20年後、この先の日本にとってこの1000億円どっちの使い道がよいのだろうか。」と光り輝くアンビルドなパース絵をみるにつけ、ふと思いをめぐらしてしまうのです。

2015年6月号


2015.6[記憶に残る


①柵もない沼地で木の枝にタコ糸を結んで針をとりつけ、パンを練って餌にしてフナ釣りをしていたこと。
②平地林の奥に廃材を持ち込んで秘密基地をつくってどうでもいいガラクタを隠していたこと(当時は宝物)
③よっちゃんいかをエサにでっかいアメリカザリガニが釣れて喜んでいたら上級生にカツアゲされたこと。
④池と池をつなぐ地下用水路に入り隣の池までいけるか試してみたこと。


これは、みな私の子供のころ(記憶では4,5歳から小学生低学年)の話です。


 当時は特別な遊びではなかったと思うのですが、今考えると相当危険な行為や(とくに、①と④は一歩間違えれば死んでいたかもしれません。)不衛生、理不尽、そんな環境で楽しんいたのです。
 家の前は石の道、校庭も粗い砂利で、よくすっ転んでは膝に小石が入りこんで血だらけになっていました。それでも遊びたい一心で痛さなんて気にならず消毒など後回しで遊んでいました。
 今の時代は、当時の環境に比べれば、住環境をはじめ公的な安全管理も徹底され、ずいぶん安全・清潔・快適になったものだと感じます。例えば、最新の輸入遊具の下は、やわらかなクッション素材で覆われた地面、すべて人工物で造られたさしずめ舞浜にあるような世界。もちろん、子どもたちの安全性は第一に考えるべきことは疑いの余地はありません。しかし、どこかで”痛さ”を知らなければ安全性を自ら学ぶことができないのも事実です。
 子どもは、毎日の遊びを通して様々なことを学び、つかみとっていきますので保育園もしかりです。ケガをしないに越したことはありませんが、転んでぶつけて痛い目にあってこそ危険予測が身につきます。対象環境はモノだけではありません。クラスのお友だち(相手)との関わりのなかで、ひっかきやかみつき、言い合い、とっくみあいなどもおこるでしょう、そんななかで心や体に感情を染み込ませながら成長をしていくものです。
 程度問題でもありますが、すべて無菌状態にしてしまっては、”記憶に残る”ことはなくなってしまうでしょう。せめて、公園なども”土”や自然の一部を残してほしいものです。

2015年5月号


2015.5[World Thoughest Job


数年前、こんな人材募集がありました。


「(求人) 世界で一番厳しい仕事」 


 応募概要はなし。世界で一番厳しいならと高待遇を期待した応募者や、興味本位で面談にきた者が
チャットインタビューを受けにやってきます。面接官が説明を始めると、次のような条件を並び立てられるのです。


(条件)
強い責任感。
経済や医療、調理などの専門知識
4時間立ち通し、週135時間以上の労働。
休憩なし、祝日出勤も頻繁にある。


徐々に顔をこわばらせ、
「無理かも…」「そんなの狂ってる!」「違法だ!」と文句を言いはじめる応募者。
とどめには、「無給です。」と言ってのける面接官。口があんぐりの応募者に、面接官がここで、ネタ明かし。
(面接官)実はこのポジションには何億の人がすでについているんです。
この世で一番大変な仕事、それは「お母さん」。
子供を育てながら、家事をこなし、旦那さんの面倒をみて、年中無休で無給の仕事。「確かに…厳しい!」
実はこの求人募集はフィクションで、どんな反応を見せるか、アメリカの文具会社が企画して撮影しYoutubeに公開したものだったのです。なかには涙する人もいたとか。保育園を利用される皆さんは、「お母さん+仕事」をこなすスーパーウーマンかもしれませんね。

2015年4月号


2015.4 [サクラサク]


「サクラサク」この季節、同時に「サクラチル」季節でもあります。サクラを見上げながら、感じる春の温もりと共にどこかせつない気持ちになる、1年のなかでもトワイライト的不思議な瞬間(とき)…。
 サクラは基本的に匂いのほとんどない花と言われますが、子どものころから何度も繰り返した卒、入の場面に登場したあの薄紅色は、その色に匂いが宿り、不安と希望が入り混じったなんとも複雑な感情を呼び醒ます魔力があるようです。


 子どものころの自分は、なぜ次へ進むのかという事実にそれほどの疑問を抱くこともなく乗り換えの度、目的地不明の平面エスカレーターに乗っていた気分でした。その感覚が消えたのは、自分で仕事を選べる大人になってからです。その時も当然、不安と希望はありましたが、子どものころのおぼろげなものではなく、ビビットなメリハリのある原色的フィーリングです。


 サクラチル花弁を見ながら、今思えば、幼少期から幾度も自然にステージを移っていくことがきたのは、サクラのように優しく見守ってくれた母のおかげだと今ごろになって気づくのです。 
 子育ては無償の愛です。次の場所に進む今、お子さんたちを春の温かさで包み、サクラ色香の優しさで祝い、見守ってあげてください。保育士も同様な気持ちで、次のクラスへ繋げお子さんの成長を紡いでまいります。

サクラサク 2015 春。